◎歌劇『フィガロの結婚』、これはモーツァルトの傑作中の傑作というだけでなくオペラ史上に燦然と輝く奇跡の音楽でもあります。今さら私が解説するまでもありません。
しかし、この曲の一般的な演奏に関して私自身どうしても理解できないことがあるのです。
それは序曲のテンポです。
プレスト、つまり速く。
一般的には猛烈に速く演奏されます。
しかし、気づいていない方が意外と多いと思いますが、スコアを見てみますと拍子は四分の四拍子なのです。原典版だけではなくどの版もそうです。四拍子とは基本的に四つに数えられる拍子です。四拍子ではあのようなテンポ設定には決してなりえません。決して二分の二拍子ではないのです。
四拍子と書かれている以上、四つに数えられるテンポでなければならないと思います。
一般的な演奏はどうかといえば、速ければ速いほど良く、一拍子かと思わせるような演奏がほとんどです。速すぎる結果どんなことが起こるかといえば、ファーストバイオリンの後打音付きトリルが大人数で弾くことも相まって装飾音として効果的に聞こえてこない、ということになるのです。
モーツァルトのあのチャーミングでエレガントなトリルは速すぎると、なにかゴミのような音の団子になってしまいとても耳障りです。
これはせっかくのモーツァルトが残念なことになってしまいます。また楽譜通り四拍子として感じると、例えば曲の出だし、全弦楽器のユニゾンなどもっと意味深くなるはずです。
この曲は当時の腐った社会を痛烈に批判し風刺した作品なのです。意味深くないはずがありません。
たとえ二拍子として速くテンポをカウントしたとしても四拍子が持つ安定感は決して失われてはならないと思います。
しかしなぜそこまで速く弾くのか。
速いほうが一見派手に聞こえるということもありますが、プレストという言葉がただ単に速いという先入観として捉えられたためであり、ただ速いだけではなく軽快さというニュアンスかあるということが忘れ去られた結果だと思います。
軽快感は決して失われてはなりません。あくまでも軽快な曲であり、決して軽率軽薄になってはならないのです。
それ以前にこの曲は速いものだとか、皆が速くやっているから自分も速くやる、ではお話になりません。
普通はこのようにやるから、自分もこのテンポでやる。これでは音楽家として情けないですね。恐ろしいことです。
自分がやることには必ず理由が要ると思うのです。それでなければ芸術などやる意味が無いじゃないですか。ただ何となくではいけません。
終わり
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