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昨年はベートーベン生誕250年の年ということで、世界各地で数多くのコンサートなどの催しが計画されました。実際にはコロナの影響で実現までこぎ着けたコンサートはごくわずかでした。しかし、ベートーベンに関するCDや書籍の面では、幸いにも数多くの物が世に送り出されました。
それは、ベートーベンを愛する人々にとってはせめてもの救いです。中には普段滅多に聴く機会のない作品も含まれていて、コロナ禍に苦しむ私達の心を慰めてくれました。

私もいくつかのCDを購入しました。

今回、私が聴き、良かったと思ってご紹介するCDは、皇帝ヨーゼフ二世追悼カンタータWoO.87と皇帝レオポルト二世戴冠式カンタータWoO.88を収録したナクソスレーベルから発売されたCDです。これらの作品はほとんど演奏されることがなく、ベートーベンの作品番号Op.1以前、つまり彼がヴィーンに出てくる前、まだ故郷ボンにいる頃に書かれた作品であるこの作品は、私自身演奏するどころか全く初めて聴く音楽なのです。

あまり知られてはいませんが、ベートーベンのボン時代の作品は結構多く、文献では昔から確認してはいましたが、大抵のレコード会社としては、第9、第5シンフォニーや「エリーゼのために」などの超有名な曲ばかりが売れるので、知名度が低く売れそうもないこのような作品では出す勇気がないのでしょう。
そのため、ベートーベンの曲ならなんでも聴いてみたい私のような人間には、このような知名度の低い曲は聴く機会が巡っては来ません。そういった意味で、生誕何年とかは音楽をやっている者にとっては知らない曲を知るチャンスでもあるのです。また、ナクソスという、珍しい曲ばかり出すこの会社は頼もしい存在です。

次に、この曲について少し触れますが、ベートーベンはこれらの曲を19から20歳頃に書いたそうです。若者が書いたとは思えないくらい完成度は高く、2曲とも見事な作品です。この時期、彼は宮廷オーケストラの団員としてヴィオラを弾いていましたが、おそらくこの期間にオーケストラの曲を書く技術を実際の演奏を通じて習得していったのではないでしょうか。このように、このようにベートーベンはヴィーンへ行く前に、すでにたくさんの曲を書き、経験を積み、満を持してヴィーンに乗り込んだのでしょう。
彼はこれらの作品に自信を持っていたようで、特にヨーゼフ二世追悼カンタータの一部は後の歌劇「フィデーリオ」にも転用されています。この地を訪れたハイドンにも楽譜を見せたようで、当時、超売れっ子作曲家であったハイドンの意見を聞いたのではないでしょうか。それから数年後
、彼はヴィーンでハイドンの弟子になります。
自信を持っていたにも関わらず、ベートーベンの生前この曲が演奏されることはありませんでした。彼の死後50年経ってようやく初演されたのです。

このCDの演奏はレイフ・セーゲルスタム指揮 トゥルク・フィルハーモニー管弦楽団というフィンランドの演奏団体と合唱団及びソロの歌手達です。

作り物であるCDでは、実際の演奏がどうのこうの言えるものではありませんが、想像する限り、好演であるように感じました。
特にレオポルト二世戴冠式カンタータ第二曲目にはチェロとフルートの大ソロが出てきますが、チェロにとって非常に演奏困難な曲です。低音から限界に達するほどの高い音によるポジションまで早いテンポで動き回ります。しかし、演奏者はなんとか無難に弾きこなしています。一度、楽譜を見てみたいものですね。

ヨーゼフ二世追悼カンタータも良いと思います。
第二曲目のフィデーリオのフィナーレに転用された部分はオーボエのソロがとても素晴らしかったです。久しぶりに上手いオーボエの音を聴きました。

他にも、ニコラウス・アーノンクール指揮による、ベートーベンの作品集を聴きましたが、それもとても良かったので、また機会があればご紹介したいと思っております。