音楽作品のなかにはソナタやコンチェルト、またはシンフォニーのような大曲だけでなく演奏時間が数分という短い曲、つまり小品もあり、それらが加わることによって音楽界をより楽しくバラエティーに富んだものにしています。

しかし、演奏する方にとって扱い方にはかなりの差があります。

長大な作品を演奏する場合、精神的なものを含めて大小さまざまな物事を積み上げていく構築力や計画性がまず求められますが、何よりも集中力や緊張感の持続が大切でしょう。
それに対して小品ではどうでしょうか。

小品では、短い時間でその作品のエッセンスを表現しきるだけのセンス、つまり瞬発力というか閃きが求められます。もちろん大曲とは異なる集中力も必要です。小品を集めたコンサートでは、いくらプログラミングに趣向を凝らせたとしても下手をすると間延びした退屈なコンサートになりやすいものです。

大曲との差は、ちょうどスポーツにおける長距離走と短距離走、長編小説と短編小説などとの差にも共通するものがあるかもしれません。
それ以前に小品の演奏は、演奏する人の人柄や音楽家としてのあらゆる実力がもろに出ます。その意味で小品は怖いのです。

音楽においては演奏家や作曲家だけでなく、すべての音楽家にとってこの両方をこなすだけの実力は絶対に必要でしょう。

しかし音楽家も人間、得意不得意はあります。

私自身はソナタや弦楽四重奏などの長大な曲を弾くのを最も得意とするのですが、人からは時々、小品の方が向いていると言われたりします。そのためか小品の演奏を依頼されることが多々あります。むしろその方が多いくらいです。主観と客観とは微妙に異なるのかもしれませんね。不思議なことです。
しかし短時間で勝負しなければならない小品は私の何事も粘り強くコツコツ仕上げる性格上、どうしても苦手と言わざるを得ません。

とはいえプロたるもの不得意などとは言ってられません。
何としても演奏を成功させなければなならないのです。

先日からお知らせしていますが、2月にチェロの小品ばかり集めたコンサートをやります。
小品ばかり11曲、アンコールを含めると12、3曲。
こんな大量の小品を一度に弾く機会はほんとに久しぶりです。演奏者にとっては最も困難な部類のコンサートです。このようなコンサートで最も難しいのは弾くことよりも、むしろ一曲一曲の気持ちをいかに素早く切り替えるかということに尽きます。油断をするとどうしても前の曲の雰囲気を引きずってしまいやすいので、精神の柔軟性が求められます。つまり先を見据え、終わったことは忘れる、ということでしょうか。人生にも共通しますね。

私自身、物事にこだわりやすく、くよくよする性格(表には出しませんが)でもありますので、今回のようなコンサートは私にとってある種の勉強となることでしょう。その意味で頑張って成功させたいと思います。

終わりに今回のコンサートについてもう一言。

チェロの小品と言えば、大抵は編曲物ばかり演奏することが多いのですが、今回はチェロとピアノのために書かれたオリジナル作品にこだわってみました。
特にドメニコ・ガブリエッリのソナタやフォーレのセレナードOp.98などはあまり演奏される機会がないので興味深いプログラムだと思っています。