父と広島

まず始めに言っておきたいことは、我が父は私が広島に赴任する事にたいしてとても喜んでくれていたことです。父と広島には深い縁があったからです。なぜなら父も若かりし頃、第二次大戦中、アジア南方の戦地に赴く前数ヶ月を広島で過ごしたこともあり、私同様広島の土地から凄いインパクトを与えられたのは間違いないからです。その頃の関西からの兵士はすべて広島の宇品港から戦地に旅立ったのです。なにしろその頃の父にとっていまから外地に行ってもこの先日本に帰れるという保障など全くありません。多分、生きて日本の地をこの目で見るのはここで最後だと日々感慨深く思い、広島の風景を眺め時を過ごしていたことでしょう。
平和な日本に育った私の時代とは全く異なる立場にあったのですから。

いよいよ3月、広島への引っ越しも間近、
父は原爆以前の広島のこともよく話してくれました。例えば平和記念公園や原爆ドームの辺りがとても賑やかな所でいろんな店や旅館がいっぱい建ち並んでいたことなど(残念ながら我が父は33年前六十六才でなくなりました)。数年前、広島原爆記念で過去の広島を舞台にしたテレビドラマ番組をみて、以前父が話していた広島のことが一致していて、あらたな感動を覚えたことを今でも忘れません。
戦争は市民のささやかな生活や幸福までも簡単に踏みにじんでいくのか、と。