◎ 2 還暦を迎えて
早いもので、私もこの8月13日、健康で無事に還暦を迎えることができました。これも、健康に生んでくれた母のお陰です。
この60年、異常に短かった。光陰矢の如しとはまさにこのことでしょう。
モーツァルトも今年1月に生誕260年を迎えました。
200歳年上の兄貴ということで(誠に図々しいですが)彼にはとても親近感を感じます。
それはさておき、皆さん、こんなことを感じませんか?
歳を10年ずつ遡ってみれば、10年くらい前などついこの間の出来事。その頃何を考えていたかなどはっきりと覚えていますし手帳で日を特定すれば、その日は何をしていたか、どんな食事をしたかなど昨日の出来事のようにまざまざと甦ることができます。それが20年前となっても全く同じです。
それが30年前40年前でも事情には大差がありません。ついこの間に起こったことには変わりはないのです。
たとえばこんなことはありませんが?
30年ぶりにある人と再会したとします。その時の相手のあまりの変貌ぶりに驚愕することがありますよね。一瞬誰かわからないこともあるでしょう。その人に対する自分のイメージとしてはほんの数日前に別れた時のような感覚しか頭にないのです。相手の変貌ぶりを見て改めて30年という時間の経過を思い知らされる瞬間です。反対に、たった数ヶ月前に会ったばかりなのにもう何年も会っていないかのように感じたり。同じように、たった1時間という短い時間が永遠に続くように感じられることもありますね。そんな経験をするたび、人が感じる時間という観念の不思議さをあらためて考えさせられずにはおられません。実に曖昧というか自分の思い入れによってどんどん長さが変わるのですから。
時間とは不思議です。
そう考えればモーツァルトの200歳の年の差など実に僅かだとも感じるのです。ますます彼が身近に感じる瞬間でもあります。
私達は一瞬の人生を突っ走っていきます。
ボーッとしていると、死のXデーなんかあっという間に訪れるでしょう。
そう考えるとあと10年とか20年、一瞬たりとも時間をおろそかにすることはできません。
まさに光陰矢の如し!
人の人生などいつ終わってしまうかわかりません。「六十?まだまだ若い!もう一花咲かせてやる!」などと安易に考えてはいけません。人間一生に出来ることには限界があり、いくら頑張っても出来ないことはあるのです。そんな安っぽいプラス思考は何物も生み出しません。
少なくとも還暦を過ぎれば、自分にはもう時間がない、もう晩年なのだと思うべきです。残された人生、出来ることを頑張ってやるしかありません。その意味で、私も還暦を機に心を引き締めて人生のラストスパートに臨むばかりです。
終わり
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