◎第一話
関西弁のイントネーション

『センセエ オハヨーゴザイマスゥー !
ミナサンッ オハヨーゴザイマスゥー!』

これは関西特に大阪の幼稚園や小学校で毎日交わされる朝の挨拶です。
文字で表現するのはとても難しいのですが、あえて書けばこんなふうになります。
皆さんこれを読んでみてどんな感じを持たれますか? ゴザイマスゥーのように語尾が長くなるのですよ。どこか間がぬけてますよね!
つまり関西弁は語尾が念を押され強調される傾向が強いのです。別の言葉で例えると“何々です”とアナウンサー的な話し方では語尾を軽く収めるように言いますが、関西弁では“何々ですぅー”、とか“何々ですわ”と強調されます。物にもやたらと“さん”とか“ちゃん”をつけて強調する。例えば“豆さん、お揚げさん”とか“飴ちゃん”など。また名詞でも最後の音節が上がる言葉か非常に多い。これは関西弁特有のイントネーションであり関西地方以外のそれとはまったく異質です。
私は言語学者ではないので良く分かりませんが、関西特に大阪は昔から商業で栄えた街なので、商売上必ず相手には念を押しておく必要があったのではないでしょうか。長い年月をかけてその習慣が自然に普段の生活にも定着していったのではないかと思ったりします。

話を音楽にあてはめて考えてみましょう。
人の演奏を聞いていてよく気がつくのですが、演奏している人の音はその人の話し声ととてもよく似ているのです。レッスンをしていてもいつも感じます。つまり演奏も関西人が演奏すればどうしても関西弁っぽくなるのです。

演奏はその人の生き様そのものです。不思議なもので、ちょっとした話し癖、声のトーン、目つきなどみな演奏に出ます。気の短い人、ユーモアのある人、ちゃらんぽらんな人、生真面目な人、神経質な人、“えぇかっこしぃ”(見えっ張り)の人すべて分かります。そこで問題なのは関西弁が西洋音楽に対して功なのか罪なのか、
考えてみる余地はありそうです。

続く