“疑問”
オーケストラの活動や、一般の生徒や学生オケのメンバーを教えるうち、肝心の自分の能力の限界に気づき、次第にこの生活を続けていくことに疑問を持ち始めました。
私自身、学生時代レッスンでは、しっかりとした成果をあげることが出来なかった事もあるし、オーケストラ活動ばかりで音楽をやることが流れ作業的になってしまっているという現実。さらに実際しっかり弾けていないにもかかわらず弾けたような気になっていたという事実。
実際プロオーケストラの仕事は忙しく、新しい曲はどんどんこなさなければならないし、旅また旅の生活。女性団員のなかには過労で体調を崩し倒れる人なんか沢山います。余程自分をしっかり持っていないと、全体的な流れに確実に流されます。
周りにもその現実に流され、崩れていく人もたくさん見ました。
ここで流されるという意味は、音楽をすることがひとつの作業となってしまい、音楽を芸術として捉えることが出来なくなってしまう、ということです。生きるためだけの音楽であり、もう芸術をするという感覚が麻痺してくるというか、とにかく生活に追われ、音楽を深く考えるということ自体が面倒くさくなってしまうのです。
将来のためにもこのあたりで一度全ての活動を休止して、自分を見直す時間を取った方が良いのではないか、またこれだけのことはやった、という確かなものを手に入れたい、と思い始めたのです。
とにかく当時の自分には持っているものが何もなかった。自分自身の懐をもっと深くしなければならないと、そればかり考えるようになりました。それで出した答えは留学。これしかない!
そのような現実の悩みを誰よりも理解してくれた妻にはほんとに感謝しております。
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