今回はチェロ及び弦楽器の音にまつわる歴史についてお話しします。
其ノ一 チェロという楽器の歴史的な立ち位置
皆さん、チェロの音についてどのようなイメージをお持ちでしょうか? ビロードのような、あるいは人の声のような音。いずれにせよ何か柔らかい落ち着いた音をイメージされているようです。その音色をバイオリンの仲間の楽器全体から声の質として単純に見るとソプラノのバイオリン、アルトのヴィオラ、テノールからバリトンのチェロということになるでしょうか。そしてバスのコントラバスということになります。しかしチェロは人間のあらゆる声域を網羅しています。それがチェロオーケストラなどアンサンブルが盛んに行われる要因ともなっているのです。例えばバイオリンだけのオーケストラなど考えられませんし、フルートだけのオーケストラやリコーダーなど同族の楽器内にバスやソプラノがある場合(ピッコロとかバスフルートなど)では時々演奏されますが、チェロの合奏に比べると面白味には欠けますね。
現在チェロはソロはもちろんオーケストラや室内楽でも大活躍する花形弦楽器です。しかし後期ルネサンスから初期バロックの時代にかけて、主役はヴィオラ・ダ・ガンバなどのヴィオールと呼ばれる楽器の仲間でした。チェロは高い音を弾くこともなく、ただひたすら低音を弾いておりました。バロック後期になるまでヴィオール族とチェロなどのバイオリンの仲間は共存しながらも少しずつ主役の座をバイオリンやチェロに明け渡していきました。
今でもオーケストラでは先祖がヴィオール族の楽器がただ一つ活躍しているのですが、どの楽器がご存知ですか?
それはコントラバスです。
コントラバスは元来バイオリンの仲間ではありません。バイオリン族よりも更に歴史が古いヴィオールの仲間がそのルーツです。最低音を受け持つ、バスヴィオールがそのままオーケストラに残留した形なのです。楽器の形や弾き方のうえで現在のコントラバスにはその名残が明らかに残ってます。フラットバック(裏板が平の物)のコントラバスはヴィオラ・ダ・ガンバを彷彿とさせますね。弓の持ち方もバイオリンに見られるようなオーバーハンドグリップではなくヴィオラダガンバのようにアンダーハンドグリップで弓を下から持って弾かれています。
元々バイオリン族とヴィオール族はルーツを異にする楽器。つまり水と油、正と負、明と暗という関係になります。バイオリンが一般的になる以前は合奏といえばヴィオールの合奏でした。チェロの正しい名称はVioloncello(ヴィオロンチェッロ)。バイオリンを意味するヴィオロンという言葉がバイオリンであることを示しています。(昔の日本の音楽書にバイオリンチェロという表記があったのを見た記憶があります)
オーケストラは面白いですね。このようにまったくそれはコントラバスです。
コントラバスは元来バイオリンの仲間ではありません。バイオリン族よりも更に歴史が古いヴィオールの仲間がそのルーツです。最低音を受け持つ、バスヴィオールがそのままオーケストラに残留した形なのです。楽器の形や弾き方のうえで現在のコントラバスにはその名残が明らかに残ってます。フラットバック(裏板が平の物)のコントラバスはヴィオラ・ダ・ガンバを彷彿とさせますね。弓の持ち方もバイオリンに見られるようなオーバーハンドグリップではなくヴィオラダガンバのようにアンダーハンドグリップで弓を下から持って弾かれています。
元々バイオリン族とヴィオール族はルーツを異にする楽器。つまり水と油、正と負、明と暗という関係になります。バイオリンが一般的になる以前は合奏といえばヴィオールの合奏でした。チェロの正しい名称はVioloncello(ヴィオロンチェッロ)。バイオリンを意味するヴィオロンという言葉がバイオリンであることを示しています。(昔の日本の音楽書にバイオリンチェロという表記があったのを見た記憶があります)
オーケストラは面白いですね。このようにまったく正反対の個性を持つ楽器同士が混然一体となって音楽を作り上げていくのですから。それは合奏音楽の発達における自然な成り行きであり、正に社会の縮図なのです。色々な人がいるから人間社会は面白いのです。類は友を呼ぶという現象もそのままオーケストラに当てはまるのではないでしょうか。いろんなタイプの人が一つのコロニーを作っている、それがオーケストラなのです。
余談になりますが、選ぶ楽器によってその人の性格が判る、といいます。因みにチェロを選ぶ人は理屈っぽい人や変っている人(偏屈な人)が多く、バイオリンは目立ちたがり屋、感情的な人が多いそうです。オーケストラで弾くと、はっきりとその傾向が理解できます。オーケストラをやっている方は今度注意して観察してみてください。
それらの事を考えても、まさにオーケストラは社会の縮図。それぞれの楽器の長所を違う楽器同士で高め合っているのです。この世は正負の法則によって成り立っています。何かが欠ければ他の何かで補う。そこがまた面白いのです。いろんな人がいるから人間同士の精神的交わりが面白くなるのだと思います。
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