其ノ九

20世紀初め頃のカルテットを紹介する古い写真を見るとチェリストはチェロをエンドピン無しでそのまま床に置いて写真に収まっているのを目にすることがあります。またピアッティ、クレンゲル、グリュンマーなど20世紀前半の名手の写真を見ても大抵楽器を直接床に置いています。あれは実際にエンドピン無しで弾いていたのだと思います。
20世紀に入りエンドピンが普及したとはいえチェロは場合によってはエンドピン無しで弾かれていたこともあるのです。その頃は現代のように古楽という観念が無かった時代でもそうなのです。

昔のチェリストは音色に対してとても敏感でした。
カルテットを実際やっている方は是非エンドピン無しで実験してほしいと思うのです。アンサンブルをした時、エンドピンの有無でどのようにアンサンブルの全体的な響きが変化するでしょうか。エンドピン無しで弾いた時、他の楽器との音色の融合のしかたがとても自然だったのではないでしょうか。それに比べエンドピン有りのときはチェロの音が浮き立ってしまい音色を溶け合わせて弾くことに困難さを感じたのではないですか?
エンドピンと同様の問題はバイオリンにおける“アゴあて”にも当てはまります。アゴあてで楽器を締め付けることによって楽器本来の響きはかなり損なわれます。それに“肩あて”まで付ければどんなことになるか、もう言うまでもないことでしょう。
人間は物がなければないで何とかなるものですが、一度楽を覚えてしまえばもうもとには戻れないものなのです。
現代、音楽界にも商業主義がはびこり、大音響や刺激的な音ばかりがもてはやされる時代ですが、時には楽器本来の持つ柔らかく融和された響きに耳を傾けてもいいのではないでしょうか。