其ノ三
スケール(音階)の練習

楽器の練習にはスケール(音階)が付き物です。
練習するのにはとても面倒くさく、根気が必要です。特にシャープやフラットが多い調子になると、ついつい投げ出したくなるものですね。
しかし、そもそもなぜ音階など面倒なものを練習しなければならないのでしょうか?
それは、簡単に言ってしまえば音階とは、音楽の素材だからです。どんな腕の良い料理人でも食材選びには神経を使いますし、弦楽器製作家なら最高の材木を手に入れようとするでしょう。
したがって音楽家も、最高の素材を手に入れる必要があります。
では、どのようにして手に入れればいいのか。そこが問題です。
そもそも音階の成り立ちとはどんなものか。まず、そのことから考えてみる必要があります。

その前に、まず音楽の発生とはどんなものかを考えてみましょう。
言葉をまだ持たない太古の人類が、意思や身の危険を仲間に伝える時はどのようにしていたか?
始めはただ“あーッ”とか“うー”など、叫んだり唸るだけだったのかもしれません。しかしある時、同じ“あー”でも音程を途中で変化させると、より気持ちが伝わりやすく、声も届きやすいことに気がついたはずです。例えば有名な“ターザン”の叫び声、あれはフィクションであっても音楽の原点を感じさせるシーンですね。
言葉よりも音楽の発生の方が先ではなかったか?
いや、そもそも始めは音楽と言葉の明確な境界線など無かったのではないでしょうか。人はメロディーに言葉を合わせたり、言葉にメロディーをつけたりして、感情を伝えようとします。つまり、元々歌うことと話すことは同じ次元で、人が持つ本能であり欲求でした。その意味で歌を歌うことは、音楽の原点だったのです。小鳥の歌や野獣の叫びとはそんな大差は無かったのではないかと思います。しかし動物のなかでは最高に優れた脳を持つ人類、それだけでは飽き足りません。
言葉と共に手を叩けば、皆と共通の感情が得やすいことに気がつきました。この時の手拍子が楽器へとさらに発展したのではないでしょうか。つまり手拍子が発展し、やがて棒で、ものを叩く。その音色の違いに気がつきます。そうやって楽器は発達していったのではないかと思います。
歌の補助としての楽器演奏は、歌うことと深く係わり合ってきました。楽器演奏は常に歌と共に発展してきたとも言えます。楽器を演奏することで、歌を真似た。または歌の延長として捕らえていたとも考えられます。これからみても楽器を弾く人にとっても、楽器と歌とは別物ではなく、歌なくして器楽は存在せず、歌うということが、いかに大事かということが理解できるでしょう。
手を叩き、物を叩く、これも人間の持つ根源的な動作です。小さな子供に太鼓のような、棒で叩く玩具を与えると脳の発達が促されます。代々人類は叩くことによって脳を発達させてきました。
人が最初に行う理性的な動作は現代でも叩くことなのです。
最初の人類は初めは手で、次第に棒を使っていろいろなものを叩き、その音色や音の高さの違いを発見していったのだと思います。
意思表示として始まったうめき声や叫び声は手拍子という、道具の発見から始まり、互い関係を深めつつ音楽として発展をとげました。

つづく