◎其ノ一
目の話

音楽家にとって目は耳と並んで大切な器官です。
晩年のJ・S・バッハやヘンデルのように晩年失明したにもかかわらず作曲をし続けましたが、(二人とも同じ眼科医によって手術を受けた結果、失明したと言われています。)
ひとは目が見えなくなれば、感覚や注意力は音の世界に入りやすくなり、聴覚が研ぎ澄まされる、ということは実際にあるようです。
しかし彼らのようによほどの天才でない限り、目が見えなければ音楽を極めることはできません。聴覚だけに頼ることは出来ないのです。
ベートーベンやスメタナなどはその聴覚すら失ってしまったので、状況はもっと悲惨です。でも彼らには確固たる音楽が頭の中に築かれていたので、作曲には聴覚は必要なかったのかも知れません。
どちらにしても、音楽家は視覚や聴覚だけでなくすべての感覚を大切にしなくてはなりません。
私自身、若い頃から目には自信がありました。オーケストラで毎日細かい楽譜を弾いても大した疲れも感じなかったのですが、四十歳を過ぎる頃から、楽譜を見ることで少しずつ目の疲れを感じるようになってきました。オーケストラピットで一週間ほどバレーやオペラを弾くと、もう最悪で、疲れが回復するのに、また一週間かかるのです。
年月が経って四十七歳か四十八歳の頃でしたか、ある日、たまたま暗いところから明るいところを片目で見た時、右目の視界下半分に緑色の大きな影を発見した時はびっくりしました。
普段私達は片目で物を見るということはあまりないのですが、たとえ悪い所があっても良い方の目が補ってくれるので、気が付かないのです。
片目で物を見るのは大切だと痛感しました。早速、近所の眼科を受診しましたが、その時医者からは眼底に出血があると言われ、しばらく通院することになりました。しかし全然改善が見られません。
“忌ま忌ましいヤブ医者め!”

さらに物が歪んで見えたり物が切れて見えだしたのです。これはヤバいと思い、掛かり付けの内科で大きな病院を紹介してもらい受診したのですが、そこで出された診断は、黄斑上膜(視神経が集まる黄斑の上に膜が張り、それが黄斑を引っ張ることによって物が歪んで見える病気)という病気で手術が必要とのことでした。
早速入院し、手術を受けたのです。
なんとか事なきを得ました。現在では症状の進行は止まり、楽譜を読むことには何の支障もありません。
音楽をやっている皆さんも、時には片目で物を見る習慣を持たれることをお勧めします。知らぬ間に目の疲労は蓄積しているもので、思わぬ病気が発見出来るかも知れません。

つづく