つい先日、あるアマチュアのオーケストラのお手伝いを頼まれて弾いてきました。
皆、一応上手には弾けていましたが、出てくる音といえばまるで塗りつぶしたような音、油を流したような音で私としては息が詰まるような気分でした。
このような演奏習慣は音楽界においてみられるこの数十年来の傾向で、こんなアマチュアの世界にもここまで浸透しているのかと思うと考えさせられるものがあります。
考えてみれば、アマチュアといえども楽器を習おうというときにはまず先生について習うわけで、教えるのは大抵プロなわけですから、そんな生徒がいざ演奏すれば多少うまい下手の差はあっても出てくる音の質はアマチュアであってもプロであっても同系統だということです。
昨今、クラシックの演奏といえば油を流した海で泳いでいるような印象的のものばかりが目立ちます。呼吸感がない。息が感じられない。
金魚鉢に油を入れられた瀕死の金魚状態、、というわけです。
ただなんとなくメロディーらしきものがだらだらと流れ、
そのような演奏に私はいつも羊羮か「ところてん」をイメージするのです。どこを切っても同じ。
よく演奏会で聴衆として連れて来られた子供が泣くのは、息の出来ない演奏を聴かされて単に苦しみを訴えているだけだからだと思います。ですからクラシックは堅苦しいと言われるわけです。
子供が静かにしているかどうかは、いかに正常な呼吸が取れている演奏かどうかのバロメーターとなるのです。
大人は苦しくても、格好をつけて我慢しながら聴く。滑稽ですね。
修学前の子供を閉め出す演奏会の程度など、たかが知れてますよ。最初から自分たちの演奏はまずいですよ、窒息しますよと宣伝しているようなものだからです。
数多い芸術の中で常に息が伴う、つまり生命活動がそのまま芸術になる、というのが音楽の最大の素晴らしさのはずなのですが、その呼吸がないとは、はたして音楽などやる意味などあるのでしょうか。
元々、呼吸があるからリズムが発生し音楽が生まれたとも言えるのです。
音楽の基本は息である。
その基本をもっと認識するべきだと思います。
油垂れ流し音楽がこの世から一掃される日を夢見て頑張る毎日です。
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