音楽は楽しみ。「音楽=音が苦」になってしまってはいけない。音楽は音を楽しむと書く、音を楽しまなければならない、音楽は楽しむものだ、などと昔から良く言われますね。とにかく楽しめ楽しめ!
しかし、音楽だけでなく物事を極める上で、果たして楽しいことばかりでしょうか?
結論から言うと、音楽をやることは苦しみでもあります。
確かに皆でわいわい楽しく楽器を弾いたりアンサンブルをやるのは楽しいことではあります。
しかし一旦、音楽に目覚めその深みにはまってしまえば、チャラチャラした安っぽい楽しみなど吹っ飛んでしまいます。そう思いませんか?楽しむどころではない。芸術作品が私達に突きつけるものがそれはそれは多様で厳しいものだからです。
スポーツでも囲碁将棋、なんでもそうだと思います。少しかじるだけなら文句なく楽しい。しかしそれらを真剣に取り組み追及する者にとっては地獄の苦しみを味わうことすらあるのです。私自身も長年音楽に携わってきて苦しいことばかりでした。
では、音楽にしろスポーツにしろ、そんなに苦しいものならやめてしまえば良いのに、一旦はまってしまえばやめられないのはどうしてでしょうか。
それは偉大な芸術に挑戦することそのものが快感になってくるからです。そこには仰ぎ見る偉大な芸術という大きな存在に近づくという人生の目標が生まれるからでもあります。スポーツなら偉大な記録になるでしょう。音楽なら大宇宙のように広がる偉大な名曲の数々、、、。それらを前にする時、感動と畏怖の念が先立ち、それらに近くためにはどんな苦しみも耐えることができるようになるのです。一種の麻薬のようなものかもしれません。(実際、スポーツや演奏に打ち込んでいるとき、体内では脳内麻薬物質が分泌されていると思います。)
音楽においてもスポーツにおいても楽しいと感じる、または楽しむのはあくまでも聴衆であり観衆の方です。つまり楽しいと感じさせる演奏(スポーツなら演技)の裏側には血の滲むような努力が必ずあるのです。
しかし、演奏する方がまず楽しまなければ聴衆には伝わらないではないか、と言う声が聞こえてきそうですが、例えば、演奏(演技)する方が悪のりなどして安易に楽しんでしまった場合、どうでしょうか。そんな演奏は聴く方にとってはまず楽しくは感じないものです。芸術(スポーツなら競技自体)が汚されたような気分になるからです。演奏者のやることは音を楽しむ、あるいは音をもて遊ぶのではなく音に対する好奇心を常に抱く、これだけが演奏者にとって本当に音楽を楽しむことなのではないかと、好奇心を持つことゆえの苦しみ、苦しみこそが楽しみだと私は思います。
好奇心があるから遊ぶのだという声も聞こえそうですね。
しかし今日はここら辺にしておきましょう。
面倒くさい話ばかりしていると誰もチェロを習いに来なくなってしまいますからね!
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