本当に良い演奏とは何でしょうか。

まず、私達は一般的に人の演奏を上手い感じる時とはどんな時でしょうか。

単純に考えられるのは、有名な演奏家の演奏を間近で聴いた時、お気に入りのCDを聴く時などではないでしょうか。

いずれにせよ人の演奏を聴いて上手く感じる、または感動するとは何かのメッセージをその演奏から感じられた時、そしてそれに共感した時だと思います。つまり、その演奏者と波長が合っているのです。

人との付き合いでもそうです。相手のことを理解しようとすれば相手の気持ちに寄り添おうと努力しますね。そしてその努力が報いられると時には友情であったり恋愛感情が芽生えることもあるでしょう。常に相手と波長を合わせながら(いやいやでも)生きているのです。

音楽もまったく同じこと。聴き手も演奏者の気持ちに寄り添わなければなりません。それは演奏している曲の作曲家であったり、もちろん演奏者自身であったりします。
昔のピアノやバイオリンなどの教本によくでてくる「媚びるように弾きなさい」という文言は、昔から演奏に大切なのは聴き手の気持ちにいかに寄り添うかということでありるということです。それは演奏者にとって今でも重要な課題ということには変わりがありません。
しかし、場合によっては演奏者本位、独りよがりの演奏になってしまう危険性が存在し、それは演奏家にとって常に隣り合わせにあることは確かです。
そこで演奏には共演者、聴衆ともに波長がいかに合うかということが求められます。

人との付き合いの場合でもそうですが、やはりどうしても波長が合わず気持ちが通じ合わない、そんなときは相手の言動に落胆し、それだけで変人、嫌なやつ、のレッテルを貼ってしまうということにもなりかねませんよね。
こちらの気持ちばかりが先立ってしまった結果でもあります。
音楽の場合、たしかに速く指が動いていたり、その演奏者が持って生まれた艶っぽい音色も豪快さも、一見上手く聴こえます。しかしそれだけでは、すぐに人は飽きてしまうでしょう。いくら器用に弾けても見せかけのパフォーマンスだけでは名演は生まれません。そんな演奏は上手いことはわかるけど、それが何なん?どうしたん、、?
ということになってしまいます。

言うまでもありませんが演奏者はまず謙虚さをもって作品と対峙しなければなりません。それはまず技術的なものを克服することでもありますが、作品からもたらされるメッセージを汲み取るには謙虚さが最も求められます。しかしそれは残念ながら後回しになることが多い。演奏者の趣味ばかりが全面に押し出されることが多いのです。
目を聴く側に移してみると、
聴衆の醸し出す、演奏者に対する演奏を理解しようとする温かく緊張感のある雰囲が必要でしょう。不満足な自分の趣味だけで聴いてしまうと、演奏者の本質を見逃してしまいます。その演奏の質、つまり自分本位であるか、聴衆との和をいかに感じて演奏しているかどうかを見逃してしまうのです。

その演奏と聴衆との両方がバランスよく満たされた演奏は、言わずとも記憶に残る名演奏になるでしょう。聴く方も演奏者だけでなく、作曲家との波長を合わせなければならない、ということです。すべてが良いバランスにあることが望ましい。そのためには何人も常に謙虚さが必要。

実際の演奏でみてみると、演奏者にとっても聴衆(たった一人だとしても立派な聴衆です)が醸し出す雰囲気は演奏の質をどんどん変化させます。良くも悪くも。
演奏者は聴き手ひとつで上手くもなるし下手にもなる。
良い聴衆は演奏者を育て、心と技術のバランスが取れた良い演奏は聴衆を育てる。

それはレッスンの時でもあてはまります。生徒の演奏に対する教師の聴き方ひとつで生徒は変わるのです。まず素直に生徒の演奏を聴く、これがレッスンの質を決定づけます。極端に言えば、生徒の演奏を揚げ足をとるように否定し(このようなレッスンは多いものです)、教師の趣味を押し付けるより、黙って生徒の演奏を親身になって真剣に一度最初から最後まで聴くだけの方が、ずっと効果があります。聴いたあとは余韻に浸り、生徒自ら考える余裕を与えるのです。教師の価値観だけで生徒を見てしまうと、生徒の持つ良い面が見えなくなるということは多いものです。それは謙虚さがなければまったく成立しません。

生徒の方もまた教師の心の懐に入っていかなければならない。教師の言うことはまず一度取り込まなければならない。その結果、程度の差こそあれ、かならずピントが合うというか波長が合うという瞬間が必ず訪れます。この二人の波長が合った時、瞬間的にでも凄い名演が生まれることもあるのです。
その時間は生徒も確実に上手くなっているのです。
毎回のレッスンでその感動を積み重ねることが本当の上達に繋がると言えるでしょう。
演奏もレッスンも同じように、まず謙虚であるということが第一歩。
謙虚さと波長のピントが合うということ、これが満たされた演奏が良い演奏なのです。
これはなにも音楽だけに限ったことではありません。人が生きる上でも不可欠な要素なのです。