其ノ四

次に合奏の編成を見てみましょう。
バロックの時代、音楽の先進国イタリアではコレルリが二つのバイオリンと通奏低音のためのためのトリオソナタという形式を完成させました。通奏低音はバイオリン二本の場合、普通 チェロで弾かれます。同じくコレルリが完成させたといわれる合奏協奏曲、いわゆるコンチェルトグロッソもソロのパートは二つのソロバイオリンとチェロということが多く、中低音としてのヴィオラ・ダ・ガンバの出番は少なくなったことが伺えます。ヴィヴァルディも合奏協奏曲はバイオリンとチェロのソロが主体とした曲をたくさん書きました。合奏の最低音を受け持つのはバスヴィオールつまりヴィオローネ。これはヴィオール族最大の楽器です。この楽器からフレットが徐々に無くなっていき、多かった弦の数も3本か4本になり現代のコントラバスの形態になっていきました。

其ノ三でもお話ししましたが、後々までバロックから前期古典派の時代に変わろうとする時期に至るまで合奏にヴィオール族の楽器を使いつづけたバッハの存在は印象的です。その当時すでに時代遅れとされていたヴィオール族の楽器にバッハは新しい可能性を見ていたのでしょう。
ヴィオラ・ダ・ガンバのための三つのソナタをチェロで代用することが多いですが、チェロの音ではドラマチックになりすぎてどうもしっくりきませんし、マタイ受難曲のソロガンバのパートやブランデンブルク協奏曲第6番のガンバをチェロで代用してしまうと違った曲になってしまいます。そうした古い楽器や古い形式にこだわったバッハは新しい時代を迎えようとする時代から取り残されたという人もいますが、それは違います。バッハはつねに既製の形式や楽器のために新しいことを追求し続けていました。当時の主役はやはり演奏者で作曲家は素材を提供するという役割でしかなかったのです。演奏者は自由に曲を解釈し自分が作ったように弾いていた。それは作曲家も納得していたわけです。それに対してバッハは演奏者に勝手に自分の曲を解釈して弾かれるのを極端に嫌った。そして楽譜には装飾方法、演奏方法などすべて書きこみました。つまり当時の演奏家からすれば演奏の自由を奪ったというわけです。それが演奏家から反感を買いました。未来を予見していたのでしょう。本当は最も新しい感覚の持ち主だったのです。音楽の主流は次第に音楽の後進国ドイツへと移り行き、
やがてその志は演奏も含む後々のヨーロッパ中の音楽界に受け継がれていきます。それがバッハをして“音楽の父”と呼ばれる由縁なのです。