◎ 私たちは原因と結果の嵐の中で生きています。

音楽とは何か?芸術とは?
これは難しい問題です。
そして音楽という現象とはいったい何なのでしょうか?
考えれば考えるほど分からなくなってしまいます。まさに嵐。五里霧中。

ただはっきりしていることはただひとつ、音楽とは実在するにもかかわらず、一切目で見ることはできない。これだけです。音など記憶の中でしか存在できません。さらに突き詰めると、個々の音楽をひとつの芸術作品としてはっきりと存在感を認識することができるのは楽譜の存在でしかないのではと考えたりします?
こんなことを考えると、音楽など実に頼りなく幻のような存在だと思ってしまいます。
いや、視覚にしても聴覚にしても、人はただ記憶を連続として感じているに過ぎません。つまり、見たもの聴いたものは既に過去の出来事なのです。

文学でも字が書かれた文章そのものがひとつの作品と考えることができます。
しかし、この場合、読まれて初めて作品として完結します。音楽も同じように演奏されて初めて作品として成り立つ。

この世には原因と結果しかありません。
音楽も当然原因と結果の世界。楽譜だけでは音楽は成り立たないのです。
つまり楽譜とは原因であって、演奏は結果なのではないでしょうか。そもそも楽譜自体も作曲者の思った結果を目に見える形にした物なので原因と結果という連鎖の一部には変わりはありません。

音楽とは、楽譜に書かれている事のほんの一部分が演奏することによって表に滲み出した物だと言えるのではないでしょうか。氷山のようなものです。

これは、なにも音楽だけに限ったことではなく、この宇宙すべてはこの仕組みで成り立っています。
原因があれば必ず結果があります。陰があれば陽があり、悪があれば善があるのです。蒔いた種は刈り取らなければなりません。宇宙の法則です。

原因や陰の部分、つまりこの世には見えない部分がほとんどかも知れません。宇宙も見えないものがほとんどで、暗黒物質つまりダークマターが占めているそうです。それと同じでは?

目に見える物しか信じようとしないという人が多いように、音楽の世界でも、出した音そのものだけで判断すると言う人がほとんどではないでしょうか。
たいていは出してしまった音にしか気は回らない。
しかし、原因と結果という観点でよく考えてみれば、良い演奏とは、たとえば私はこの曲をいかに感動し演奏時間をいかに作品とともに生きることができたかという、精神の中で完成されたものであるべきで、出た音はある意味、感動の燃え殻でしかないのではないかと思うのです。結果オーライという訳にはまいりません。

続く