其ノ二
一般的に言われる才能において問題となるのは、それが目立って華々しいものか、人が指摘して、ああそうだったのかと分かるくらい地味なものかの差だけです。とかく目立つもののみが才能としてとられがちですね。
誰でも自国語が話せます。これなど考えれば凄い才能です。したがって何の才能もない人間など絶対存在しません。才能とは個性でもあるのです。個性のない人間など存在しないのですから。人を裏切らず人に愛を与えることしかできない犬や猫でも、愛という形だけにおいては凄い才能の持ち主なのです。
世間で取り沙汰されるのは、ただ人を驚かせる目立った才能だけです。これだけを才能と勘違いしている人がほとんどでもあります。
自分の性格や人格と同じように、自分の内面など、なかなか自分では詳しく解るものではありませんよね。自分で自分が解るというひとは、ただそう思いこんでいるに過ぎません。または単なる“特技”と勘違いしていることもざらにあります。本当はそれはただの妄想で才能ではなかったのだと。
では、ある人の才能とは何か、本質が分からないのに、一体どうやって才能を発見し伸ばせば良いのか。
まず大切なことは、自分はこれが得意だという事柄を持つべきです。自分の才能を理解し伸ばすためには、これぐらいのことしかできません。これをするのがが好きだ、でもかまいません。下手でもなんでも構いません。好奇心を持つということでもあります。これをやれば時間を忘れられるというものを持つのです。単純過ぎるように聞こえるかも知れませんがこれしかないと思います。モーツァルトやベートーベン、ゴッホもただ自分の芸術的好奇心を満たしていった結果、あれだけの傑作の数々を残すことができたのです。それを後世の人が凄い才能として理解し享受し賛美しているだけです。才能も天才の域まで達すると、凡人には理解ができないということもあります。現代でも彼らの芸術は、未だ正しくは理解されていないと思います。
これが好きだ、好きになった、というのも考えようによっては、自分の才能の片鱗に出会えるということにもなると言えるのです。ある事柄と自分との“心の一致”、心が通じた。これがまさに才能の発見の始まりでもあるのです。隠された自分の才能の発見そのものだということです。
音楽でもまず、音楽が好きになる、この瞬間が大切です。何かわからないけど、ただ何となく、これでも問題ありません。楽器を弾く姿に憧れた、これでも結構。音楽と自身の間が糸で結ばれ、絆が生まれる、その糸が太いか細いかはわかりませんが、自分の微かな音楽的才能に気がついたわけです。
その事柄のどの分野に才能があるのか、音楽では音楽のどの分野に優れているかなど、後々の問題です。
つづく
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