◎大阪市の文化的レベル

故郷の大阪でフリーとして活動を始めてしばらくした1991年、私は名古屋のラッハナーアンサンブル協会という演奏団体の活動にチェロ奏者として参加するようになり、大阪と名古屋を行ったり来たりする生活がはじまりました。その生活は4年前まで20年間続きました。
その協会の活動は主に室内楽で、年に二、三回はオーケストラのコンサートもやるという団体です。
その活動を始めて三年ほどすると、同協会の、ある会員が主催する音楽教室でも教えることになりました。
この教室の名は“テネラメンテ”といい、名古屋市の東部、緑区の果てにあり、名古屋駅から電車バスを乗り継いで2時間もかかる超ヘンピな場所にあります。この教室には、つい4年前まで10年以上も通いました。この期間は私の人生において最も精神的にも肉体的にもきつい時期でした。

神戸や名古屋で教えている間も、大阪市の自宅でのレッスンは細々と続けてきましたが、場所柄もあるのかも知れませんが、神戸や名古屋に比べると生徒の数はいつも遥かに少なかったです。西宮、芦屋、神戸方面は昔から関西の音楽家がたくさん住み、芸術が生活にしっかり溶け込んだ地域ですし、名古屋も芸事には惜しみなく金をかける土地柄でもあります。フィギュアスケートやバレーの隆盛、地元の演奏家によるコンサートの多さを見てもわかりますね。大阪に比べて人口比からみても遥かに多いです。
愛知県立芸術文化会館内のアートギャラリーなど芸術関係の施設もその充実ぶりは凄いものがあります。現在の大阪は文化に関しては完璧に名古屋に負けています。
やはり大阪市は商売人の街。見えない物には金などかけない。金にならないものや金を喰うものは排除!これが現代大阪の県民性なのでしょう。
、私にはただ忙しそうに振る舞っているだけとしか見えないのですがねぇ!たとえヒマでもなかなか芸術にまで気持ちが回らない、心の余裕がないというのが本音でしょう。昔の大店の旦那衆は歌舞音曲を嗜み、着物も見えない裏地に金をかけた。あの心意気は何処へ?
ある大阪の弦楽器店の店主も嘆いていましたが、「大阪のもんは楽器買えへんなー!」と。弦楽器の売上は大阪より神戸、芦屋、西宮の方が断トツに多いそうです。
オーケストラもそこそこ活動はしている。でも市民の心にはまったく馴染んでいない。つねに何か目を引いてやろうという、取って付けたような“わざとらしさ、いやらしさ”が付きまとっている。そこにはどこか学芸会的な幼稚さが感じられるのは私だけでしょうか。安っぼいド派手さしか感じられない。とにかく芸術性が感じられないのです。
博多や広島の方が遥かに上手くいってますよ。
大阪のチェロ奏者としては何とかしなければ!と常々思ってはいるのですが、実際県民性まで変えることは不可能ですね。それは切実に感じます。