◎ 続き
普通、作曲家が作品で演奏者に求めている表情や速度などはとても複雑なもので、なかなか単純な言葉では言い表せないものです。それを演奏者は察知し汲み取らなければならないのです。
例えばP(ピアノ)はもちろん小さな音で弾くという意味もありますが、それ以上に優しくとか愛情深くといったニュアンスの方が強いのです。
アレグロは速いというよりは快活にというニュアンスの方が強いですし、本当に速さだけを要求するのならプレスティシモになるはずです。
しかし小学校ではたくさんの勉強を一度に広く浅く教えなければなりません。どうしても教える内容は大雑把にならざるを得ない。
したがってP(ピアノ)はただ小さくf(フォルテ)は強く、という単純な表現になってしまうのです。その方が教えるのが楽でもあるからです。
しかし人にとって最初に習う印象はとても強いもの。それが一生付きまといます。正しい箸の持ち方や自転車の乗り方のように役立つ習慣が一生抜けないのなら良いのですが、得てして良い習慣は身につき難く、こと音楽に関しては弊害にしかならない場合が多いものです。これに毒されると、その頸木から逃れることは並大抵ではありません。
教えるならまず正しいことを教えるべきです。しかしそれは小学校では絶対不可能なことでもあります。
極論で言えば、小学校では読み書き(正しい日本語及び外国語を含む)そろばん(数学)、“正しい”歴史、政治経済だけで良く、音楽や楽譜を読むことは教える必要などないと思います。戦前の学校教育のように、皆で唄を唄うだけで十分。または優れた演奏を鑑賞させるだけでも良いと思います。そして興味を持った子供だけが別に“正しい”音楽教育を受けるべきです。
それでは、いかに間違った先入観にまみれてしまった人はどのようにそれから逃れるか。
これは残念ながら不可能です!
逃れることはできません。
しかし、そうは言ってられません。少しでも良い演奏のために何か手だてを考えなければなりません。
続く
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