九響でお世話になった方々

やがて時が経ち、私は希望通りチェロ奏者として広島交響楽団から九州交響楽団へと進みました。
プロオーケストラのプレイヤーとしての道を歩み始めたのです。九州交響楽団時代では二十代の多感な時代を楽しく過ごさせていただきました。
当時の九響の演奏は光り輝いておりました。メンバーにも名プレイヤーが沢山集まっており、皆切磋琢磨しており、私もたくさん勉強させていただきました。例えばコンサートマスターには岸部百百雄氏、チェロの客演首席奏者には橘常定氏、雨田光弘氏、矢島三男氏など。橘さんは日本のチェロ界において斎藤秀雄氏と並んで草分け的な存在。私が九響に入った頃はすでにかなりのご高齢でしたが。とても美しい音で弾いておられたのが印象に残っています。しばらくして九響を辞められることになるのですが、最後の演奏会の時の挨拶の言葉が心に残っています。楽団員に対して『どうか皆さん、どんな要求にも答えることができる、たくさんの引き出しを持って下さい』と。これは全ての演奏家には戒めの言葉として記憶すべきです。
矢島さんはお酒がとても強くてお優しく、演奏も豪快でどこかサムライを思わせるようなチェロ弾き。今では矢島さんのようなチェロ弾きはほんとに少なくなりました。矢島さんには個人的にもただでレッスンをしていただいたこともあります。ドッツァウアーのエチュードやデュオを教材に教えていただきましたが、あの時のレッスンがなければ今の自分はないと思うほど有意義な時間でした。

雨田さんはいわずと知れた楽器を弾く猫の絵で有名になった方。隣の席で何度も弾かせていただきました。
あの時一枚描いていただいておけばよかったと今になって大変悔やんでおります。
雨田さんはとてもよく通る大きな音で弾かれておりましたが、どこか神経質な方でした。しかし、仕事中にはいろいろと学校では習えないいろいろなことを気さくに教えていただきました。

そして忘れてはならない方は、コンサートマスターの岸部さんが九響を退団された後、九響後任のコンサートマスターとして就任された松村英夫さんです。ドイツで長年活躍された後、九響のコンサートマスター就任のために帰国されました。
お宅がちょうど私のアパートから近かったためよくお邪魔しました。私の留学の相談にも親身になって乗っていただき、ほんとにお世話になりました。レッスンもしていただいた事もあります。おおらかなお人柄で、コンサートマスターとして稀なる才能をお持ちでした。そして皆から慕われていましたが、2001年、悪性脳腫瘍のため残念ながら惜しまれつつお亡くなりになりました。音楽界の痛手です。54歳でした。
  さて九響で私が最もお世話になった方をご紹介するのが遅くなってしまいました。
穴山健・直子ご夫妻です。
ご両方の事は次の章で詳しくお話しします。