チェロにおける 左手のテクニックに関することはこのブログにおいても過去に何度かお話しさせていただきましたが、世間的にはポジション移動やヴィブラートのかけ方について疑問を抱いている方が相変わらずたくさんおられますので、今日もそのことについて私なりの考えをお話してみたいと思います。
さて、よくある世間のメソード本や実際のレッスンでは、いかにも左手のテクニック、ことにポジションの移動には色々複雑で面倒な問題があって、いかにもチェロは難しい、みたいな印象を与えていることが多いですね。
まあ実際、テクニックを言葉で説明したり文章に書いたりすることなどほとんど不可能に近いことですし、たとえ弾いてみせたとしても言いたいことがはたしてどこまで伝わるかも疑問です。重要なことは、極端に言ってしまえば曲の数だけテクニックはあると考えること、その考え方を持ち続ける方がうまくいくのです。
本を読んだりレッスンを見ても、なぜそのような回りくどい表現のしかたをするのか(その苦労はわかります!)、私達としては理解に苦しむことも多く、言いたいことの本質的なものなどなかなか人には正しく伝わらないものだと、つくづく思うのです。
また教える方もポジション移動させることだけが、ヴィブラートで言えば、かける動作そのものだけが問題になってしまいやすいものです。それは左手のテクニックだけでなくボウイングでも同じです。この考えは改めなければなりません。いつも音楽が伴っていなければ意味なく、ポジション移動の方法やヴィブラートのかけ方などはあくまでも表現の二次的な手段でしかないと考えるべきです。
では、まずポジションの移動について基本的な考え方とは何か?
それは、私が言いたいのは、動作そのものを考えればポジションの移動など、ポジションがいくら離れていようとも、まず隣の音を取るような感覚で音をとる、ということです。実はとても単純なこと(単純ですが簡単とは言いません)です。
単純に言えば、例えば少し離れた所にある物を少し手を伸ばして取るか遠い所の物を上体を傾け腕を伸ばして取るかくらいの差しかありません。
その基本的な感覚さえ持ち続けてさえいれば、自分に合った独自の方法が必ず見つかるはずです。無用な力みからも解放されるでしょう。
左手の問題はヴィブラートにも関係してきます。
ヴィブラートの問題も一般的には誤って認識されているようです。
極端に言えば、ヴィブラートは基本的に無いのが良いということです。少なくとも節度をもってかけることがとても大切です。ヴィブラートがない本質的な音が美しくなければならない。
つい百年ほど前にまで、弦楽器や管楽器においてヴィブラートは特殊な奏法でした。今でもクラリネットやホルンは普通、ヴィブラートはかけません。バロックの時代など装飾音の一種として考えられていたほどです。かかりっぱなしのヴィブラートが普通になったのは二十世紀になってからのことです。
私が子供の頃、よくテレビなどで弦楽器奏者が左手を痙攣させながら弾いているのを見て、強い違和感を感じたものです。その感覚は今でも変わりません。(これはフルートのM,モイーズに言わせれば、あれは心臓病だ!ということです。いつも心臓バクバクだから。)
普段見慣れた光景ですが、冷静に考えればどう見ても変な光景ですよ、あれは。それが普通に思える、慣れとは怖いものですね。
重要なことは、ポジション移動と同じようにヴィブラートの動作そのものが求める問題の対象になってしまってはいけないということ。まずは音楽が第一。音色の透明感が第一なのです。
音楽をもっと冷静に見る目を持ちたいものですね。
Comments are closed.