◎ まず最初に申し上げておきますが、私のレッスンはとても厳しいです。弾けるまで徹底的に教えるからです。でも恐くはないですよ!怒られることなど決してありません。

人は“怒る”と“叱る”とは異質なものだと言いますが、どちらも楽器の習得には似つかわしくなく不必要な言葉だと思います。
音楽とはあくまでも、作品と自分との係わり合い、つまり音楽とどう向かい合うかが問題であり、怒ってどうの叱られてどうの、というこれらの言葉が入り込む余地など全くないからです。
極端に言えば、どう弾くかなど弾き手の勝手。しかしそれでは習う意味も教える意味もありません。正しいレッスンをすることによって、教える方は生徒を良い趣味へと導かなければならないのです。しかし、そこには残念ながら音楽のレッスン現場では、怒ったり叱ったり、あるいは怒られたり叱られたりという現象が常に発生します。

怒るとは自分の激高したやり場のない感情をただ相手にぶつけているだけの行為だということ。普段の生活にはあまり登場して欲しくない感情表現です。私はどちらの言葉も好きではありません。

よく世間には、自分は生徒のことを思って怒ってあげているのだ、と偉そうに言う先生もおられますが、そんなの嘘です。思い上がりも甚だしい。生徒をしっかり導けなかった自分自身に腹を立てて怒っているのならまだしも(これは良い先生です)、大抵は弾けない生徒に対して、自分の思う通りに弾いてくれなかったことに腹を立てているだけなのではないでしょうか? 結局、教える側のエゴでしかありません。
説明が伝わらなかっただけのこと。それでは生徒は育ちません。
怒りの感情は音楽だけではなくすべての物事において、思い通りにならない事象に対する感情の発露であり爆発です。極端な話、生徒の将来を思うのなら怒る必要などどこにも無いと思うのですが如何でしょうか。相手は人間、感情的にならずに穏やかな言葉で説明すれば解るのです。いかに正しい言葉で教えることができるか、これこそが教える側にとって最も必要な才能ではないでしょうか。
残念ながら、これができないから皆怒るのですね!

怒りの言葉は生徒にとって確実にトラウマになってしまいます。
特に音楽では演奏が萎縮してしまうのです。怒られた場面にくると怒られたことを必ず思いだし、身構えてしまう。
怒られた嫌な思い出は怒られた人に対しては一生禍根を残します。あの時、怒られておいて良かったと言う人は、“良かった”と言うその言葉で無理矢理、自分を納得させているだけに過ぎません。

穏やかに先生が身をもって丁寧に説明してくれた。この時受けた感情は一生温かい記憶で包んでくれます。
叱るという行為はとても難しいですね!
教え諭す。
言い方によれば上から目線になる可能性があります。親が子供を叱るのはわかります。幼い子を導くには強烈なインパクトを与えることが必要ですが、音楽にはこの言葉も不向きだと考えます。ある程度歳を重ねた人に対しては教え諭したつもりでも“怒られた”と取られる結果にもなりかねません。
少なくとも音楽においては、教える側も生徒と同じ目線に立たないと、なぜその生徒が弾けなくて困っているのかがわからないと思います。

終わり