ボロアパートの暮らし

アパートには風呂がなく銭湯は山を下って牛田旭の方まで片道20分ほど歩かなければならず、これも悩みの種でした。特に夏など銭湯へ行って帰ればもう汗だくで何しに風呂へ行ったのか分からない状態。そういう訳で夏は洗面台の上に乗って行水をするのにかぎる、これが一番だと気がつきました。
ご飯も一応は作りましたよ。米は家から送って来てくれていたし、炊飯器も大阪から持参していたので後は“おかず”です。あの頃は海苔の佃煮とボンカレーばかり食べていました。私には昔食べ物に関して、あれが食べたい、これが食べたいといった欲は全くなく、同じ物を何年でも食べ続けることが出来るという変な特技がありました。要するに強度の偏食。
今でもレトルトのカレーの匂いを嗅ぐとあの頃の記憶が鮮明に蘇ってきます。

練習にも苦労しました。何せ部屋はベニヤ板で仕切っているだけで、壁土などなく隣の部屋の音も自分の部屋と同じように聞こえるのです。隣人が出かけるのを気配で感じ、大急ぎで練習を始めるといった日々が続き、大抵消音ミュートを付けて弾いていました。オーケストラの練習所に早目に行って練習するといったこともありました。