まず才能というものを提議づけようとすると、こんな難しいものはありません。
普通、人はとても人目を引き、華々しく目立つものを才能だ、才能があるのだと思っている人がほとんどではないでしょうか。例えばものすごい記憶力があるだとか頭の回転が速い。音楽でいえば凄く早く指が回る、どんな場でも堂々として人を引き付ける魅力を持っている。勿論これは立派な才能です。
はたしてそれだけが才能なのでしょうか。
こんな例はどうでしょうか。自分の考えをほとんど振り回すことなく、あくまでも聞き手に徹することができる。皆と仲良くできる。ひとの悪口は言わない。また黙ってそこにいるだけで人に安心感を与えることができる。これなど物凄い才能だと思うのです。
音楽ではどうでしょうか。あまり上手く弾けなくても心から音楽を楽しむことができる。誰よりも小さい音で弾くことができる。ゆっくり弾くことができる。これら皆凄い才能ですよ。
すばらしい才能などどこにでもゴロゴロ転がっているのです。ただそれに気がつかないだけなのです。物事を一面だけで見ていたり、固定概念、先入観だけで見ていると大切なものを見落としてしまいます。それらの才能を見極めることができる“才能”は教師には不可欠です。
ですから私のレッスンを受ける生徒はすべて才能豊かだと思っています。
才能というのは自分では気がつかないものです。わかりやすい例でいえば、もし仮にモーツァルトやベートーベンが自分のことを凄い才能があり天才だと思ったとしましょう。そう思った瞬間彼らはただの人に成り下がってしまうのです。もしも自分の才能に気がついたとすればその瞬間にその人の成長は止まってしまうものです。またその才能などたいしたものではないでしょう。
その意味からその人の才能に気がついてくれる存在があったとすればそれは貴重なものといえます。
つづく