◎ 最近、あそこのじいさんが亡くなった、誰其さんが急死した、などと私の身の周りでは亡くなる人が結構多く、そんなに親しくはなくても訃報を聞くとやはり気分は落ち込むものです。
人ひとり死んでもその周囲では何事も変わらず日常の生活が送られている、この間まで元気だった人のそんな知らせは、虚しさを感じるとともにいやがうえにも死について考えざるを得ません。
若い頃も周りには人の死など同じようにあったはずですが、親族や友人ならいざ知らず、ただ知っている人が亡くなった程度ではそんなに印象には残らなかったものです。
若い頃、特に子供の頃、比較的穏やかに暮らした私など死とはあくまでも非現実的なのものであって、自分とは無関係の事柄でしかないと思ったものです。若い頃は光の真っ只中で生きていたわけで、光に目が眩み、暗闇の中が見えなかったのです。
しかし、人は身体にも衰えの兆しを感じる年頃となり、周りからも大切な人が明かりが消されるように亡くなっていくのを見たとき、あるいは物事につまずいた時、初めて死の意味を本気に考えはじめるもではないでしょうか。

◎さて、皆さんは死に対してどんなイメージを持っておられますか?
未知の暗黒世界への落下、地獄の業火に焼かれる、あるいはお花畑を見る、死に別れた肉親や友人との再会…、などと続くでしよう。
いずれにしてもこれらは自分自身に対してはっきりとした死に対するイメージを定義づけ、過去の過ちを悔い、未知への不安や恐怖を紛らわし自身を納得させているだけに過ぎないと思います。

◎死後の世界に関しては多くの研究がなされ、死後の世界が現実に存在するものとして認知されつつあると言われております。ですが死はあくまでも人間にとって未知のものであり恐怖であることには変わりがありません。とにかく理解できないものは怖いのです。死んで生き返った人などいないからますます恐さに拍車をかけます。

◎人は未知のものに対しては大抵不安感や恐怖心を抱くものです。つまりこれは生き物が持つ本能でもあるのです。
恐怖心があるために自分の身を守ることができる、それがなければ種は存在できないでしょう。

人間が抱く死に対しての不安、これは“無”になることへの不安でもあるのではないでしようか。この無に対する不安や恐怖には凄まじいものがあります。死の恐怖といえばこれにつきます。

実際、無というものは科学でもほとんど解明されていないと聞きます。
ある物理学者が言っているように「絶対的な“無”とは哲学の世界には存在するかもしれないが、少なくとも物理学の世界にはそんなものは存在しない」と。
もはや数学的な定義でしかないのでしょう。まさに観念の世界。
それだけに怖いのです。
続く