其ノ十
スイスの食卓

留学でツューリヒに滞在していたころの食事について少しお話します。
スイスへ行くまで日本を出たことが全くなかった私は、かなりのカルチャーショックを受けたのは、以前もお話した通りです。
食事についても同様、というか妻の作る食事から離れ、それ以外の食事を長期にわたってしなければならない、という事実の方がショックが大きかったというのが本当のところです。
私はそれまで料理というものを全くしたことがなく、妻が作った料理が私の命を維持する全てのものでした。食事以外、外国へ行くにあたっては何の心配も無かったのですが、元々好き嫌いが多かったこともあり、食事だけが心配の種でした。

ツューリヒでは市内のホッティンゲンという区にあるシュトゥデンテンハイム(学生寮)に住みました。そこでは食事が朝と夜の二食付きでした。ただし土曜と日曜の夕食は出ません。当時朝食は、朝5時から9時までで、食堂に用意されたパンとコーヒーやゆで卵、ミュエズリ(ミューズリー、色々な乾燥させた雑穀やドライフルーツにミルクやヨーグルトをかけて食べます)を自由に取って食べます。
コーヒーやミルクは大きなポットに、なみなみと入っており、それだけでも豊かな気分になります。バターも1キロはありそうな大きな塊のまま皿にのせられています。私はそれまでパンにはバターを薄く伸ばして食べていましたが、こちらの学生達のやり方を見ているとパンにバターをたっぷり盛り上げるようにして食べていました。バターを食べているような感じで初めはびっくりしましたが、真似をしてたっぷり塗って食べると、そのバターそのものの美味さにまた驚きです。無塩で日本のそれよりも軽くクリーミーなので、沢山食べてもそれ程胃の負担にはなりません。それに色々な種類のジャムを付けて食べます。
スイスの一般的な家庭でも朝食はコンチネンタルというか、パンとコーヒーがメインということが多く、ドイツのように朝から大量のハムやソーセージは食べないことが多いようです。しかしドイツでブレートヒェンやゼンメルなどの小さなパンに沢山のハムやチーズを挟んで食べるのは最高に美味しいですよね!
パンは全体的にドイツの方が種類も多いし美味しいような気がします。ドイツ語圏スイスにはツォプフブロートといって三つ編みの形をしたパンがありますが、モチモチでとても美味しいですよ。日曜日に食べるんだそうです。
寮の夕食は夕方6時からここで働く住み込みのスタッフ、寮長の家族を含む住人全員が揃って食べます。とても家庭的でした。皆でピクニックをしたりお祭りを見に行ったり、自分より遥かに年下の学生達との交流はとても心温まるものでした。一人ぼっちで寂しいという感じは全くありません。この寮は教会の付属施設でもあるので食事の前に寮長の牧師さん(プロテスタントの教会なので神父さんというべきか)の短い説教とお祈りがあります。全員でアーメン!と唱和して食事が始まります。各テーブルにサラダから始まりスープ、大皿の料理が並べられていきます。最後にはデザート。各自自分の皿に取って食べます。全員揃って食事するのはいいですね。コミュニケーションも取れるし、一人ぼっちになることもありません。また私のような外国人にとっては語学の貴重な練習の場にもなります。
このような雰囲気ではチーズフォンデュがよく合います。当時日本ではあまり知られていなかったチーズを熔かして食べるラクレットも時々出てきました。タコ焼き機のような専用の機械があり、これらの料理も初めてこの学生寮で口にしました。
チーズフォンデュやラクレットの食べ方も見よう見真似で経験することができましたし、季節感の乏しいスイスの食事で白アスパラガスや鱒などがこちらでは春の到来を喜ぶ食べ物だということも知ることができました。
今ではとても良い思い出です。

つづく