◎ 4 教えるということ

ついに私も今年の8月に還暦を迎えました。
 私が人にチェロを教えるようになって、かれこれ40年を過ぎようとしています。
教え始めたころ私はまだ音大生でとても未熟でした。自分自身もまだまだ習わなければならない身分だったにもかかわらず、人を教えていたのです。
その頃生徒は二人いたと思います。知人から無理矢理生徒を押し付けられた形でした。やっていたレッスンと言えば、今から思い出すと自分が習ったことをそのまま教える、いわゆる“受け売り”そのもの。思い出しても恥ずかしくて赤面しそうな次第です。
その後、大学を卒業しプロになってから教えた第一号の生徒のレッスンでもまだまだ自分自身教える内容が咀嚼できてなく、受け売り状態には変わりない状態です。教えるとはどういうことかも分からず、自分の教え方を発見し自分の言葉で教えるには程遠いものでした。しかし、その時はそれでも精一杯で、苦しみながらも自分なりの教え方を模索していた時期でもありました。
誰でも最初は新米、音楽教師も例外ではありません。苦しみ努力を重ねた末、やっと自分の教授法は見つかるものなのです。
大手の音楽教室のように教授法までマニュアル化されていれば教える方は楽でしょう。
しかし、それでは生徒は育ちません。
人に音楽を教えるのは難しいものです。生徒が10人いれば10の個性があります。それらが活かされなければなりません。それぞれに合わせた教授法を編み出すのは本当に骨の折れる仕事です。
どうしても上手く弾けない生徒がいたとします。そんな時、なにが悪いのか、どのように導けば良いのか、そのための教材はどうすればよいのか、そんなことを悩みながら考えると、この歳になってもまだ夜も眠れなくなるほどです。
教えることは苦しみを伴います。

教えることから比べれば自分で演奏することなど何でもないことです。たとえ演奏で失敗したとしても、責任はすべて自分だけに返ってくるだけだからです。自分が恥をかけば良いだけなのです
しかし間違った事を教えると取り返しのつかない事にもなりかねません。個性を殺し生徒の未来を奪ってしまうことにもなるのです。極端に言ってしまえば、間違ったことを教えるのなら何も教えない方が遥かに良いのです。
雰囲気だけで教えてはいけません。常にこうこうこういう理屈だからこうなるという導き方が必要です。これこそが生徒に考える習慣を与え、応用する力を与えるのです。
良いレッスンをし、良い音楽家を育てることができれば、それは文化全体の向上に貢献することにもなります。これが音楽を教える、特に若い人に教えることの最大の醍醐味でもあり、やり甲斐でもあるのです。
ですから、この仕事はやめられません。
世間の音楽家がよくやるように、決して片手間でできることではないのです。

終わり