災害はいつどこで起こるかわかりません。一分後には交通事故で命を落としているかもしれません。またたとえ命拾いしたとしても、災害や事故は一人の人間の人生を大きく変えてしまうことさえあるのです。そういう意味で今一瞬一瞬を大切に味わって過ごさなければならないと思うのです。

23年前、日本で起こった大きな出来事と言えば、地下鉄サリン事件もありますが、私達関西人がまず思い起こす出来事はなんと言っても1月17日未明に起こった阪神淡路大震災ではないでしょうか。六千名以上が亡くなったこの災害、やっぱり歴史的大事件です。

実はこの災害が、現在の川内昌典チェロ教室発足のきっかけにもなったのです。

私は震災当時、関西と愛知県を中心にフリーランスのチェロ奏者として活動しておりました。特に名古屋ではオーケストラや室内楽を中心に忙しく動き回り、生徒を教える余裕もない状態。まさか現在のように教えることが中心の生活など想像もつかないことでした。

その当時、参加していた名古屋のある室内管弦楽団では、関西からは私の他にも神戸からバイオリン奏者一名とコントラバス奏者が一名参加していました。

そのバイオリン奏者の女性は
震災の時まで神戸の三宮で鈴木メソード、つまり才能教育のバイオリン教師をされていたのです。

地震の時、幸いにも教室が入るビルは無事でした。しかし教師であるそのバイオリニストが住むアパートは全壊してしまったのです。

生徒の方も生活を立て直すことがまず第一。バイオリンどころではありません。大半の生徒は教室を去っていきました。

教師であるそのバイオリニストも住む家を無くし教室の存続も危うくなり、さぞ悩んだことでしょう。(結果、その教室は閉鎖となりました。)
やがて彼女は才能教育の教師を辞め、長野にある実家に戻ることになったのです。苦渋の決断だったはずです。

しかし当時、大半の生徒は辞めてしまいましたが、二十名程の生徒は残り、こんな時こそ音楽による癒しが必要だと、父兄達は教室の復活を切望したのです。

生徒の父兄達は新たな教師を探がさなければなりません。

当然関西の音楽界も大混乱。新たに教師を引き受けてくれる人を探すのも困難をきわめたことでしょう。
その時、困り果てた父兄達は前の教師が弾いていた名古屋のアンサンブルで同じく関西から来ていた私に白羽の矢を立てたのです。
私としてはお手伝いできることがあれば何でもやるつもりです。

しかし待ってください。

私はチェロ弾きです。
バイオリは弾いたこともありません。
当然お断りしました。しかし
父兄の熱意に打たれ、結局引き受けることとなったのです。

さあ、これからが苦労の始まりです。

何しろ自分自身バイオリンを弾いたことがないにも関わらず突然二十名程の生徒を任されたのですから。
しかし幸いにもチェロ奏者を長年続けているものですから弦楽器を弾く基礎はあります。
とはいえ、楽器の大きさは異なるし、何よりもバイオリンは肩で構えるのですから、まったく事情はことなります。
とにかく基礎から練習するしかありません。チェロそっちのけでバイオリンの練習に打ち込みました。練習の甲斐あって、生徒が弾くような曲はすぐに弾けるようになりました。

続く