其ノ五
出会いによって新しいものを創造する

人との出会い、これは人生において最も重要な出来事の一つです。その人が現在抱いている心境、言い換えるとその人の個性が、あるいは脳の使われていない無意識の部分が、自分にとって必要な人、自分に欠けている物を補ってくれる人を呼び寄せ、引き付けてくれるのだ、とも考えられます。つまり出会う人は自分を映す鏡でもあるのです。神の計らいと考えると、あるがまま人生を受け入れることが出来ると思います。
とにかく出会う人は何かの意味があって出会ったのですから、真剣に付き合うべきと思います。音楽でも人との出会いのように、なにかの縁があって、今習っている先生と巡り会うことになったのです。脳の使われていない部分、あるいは潜在的な意識が引き付けたとも言えます。ですから、出会った先生との縁は大切にするべきです。
何かを習うということは、決して受け身の一方通行であってはいけません。人間同士のぶつかり合いでなければならなのです。

自分の微かな才能を見出だすことを期待し、何か惹かれるものがあったからこそ、その先生に習うことにしたわけでしょう?
手と手を擦り合わせば熱という新しいものが生まれますよね。希に垢もでますが…

同じように人同士も、ぶつかりあった結果、新しい物を生み出すことができるのです。そのことは自分の奥底に眠っていた才能が発見されたということにもなるのです。石ころの原石がダイヤの輝きになるのです。
良い先生はその生徒の生まれ浮かび上がってきた可能性(たとえそれが小さくても)を正確に判断し、導いてくださることでしょう。
楽器を習うのなら、レコードを聞き、写真を見てその真似をすればそれでいいのではないか、と思われる方も多いと思います。実際、真似ることを推奨する教育的な流れもありますが、しかしそれは、人との繋がりがなく、ただの一方通行で、ただの猿真似に過ぎないのです。しかし真似るという行為はある面、ある時期においてはとても有効な方法ではあります。現に小さな子供は誰でも自国語を話せるようになります。あれは親を真似ることで可能になっているのです。しかし音楽の場合は、あくまで優秀な指導者の指導の元に行われる場合のみ、効果があるのです。
やはり本来自分が持つ才能とは、すぐれた教師とのレッスンによって見出だされ、伸ばされるものでなければなりません。
いろいろ申し上げましたが、教師もまた多くの生徒と出会い、その才能を発見することによって教師自身の才能も磨かれていくものなのです。
これからも多くの生徒と出会い、ひとつでも多くの才能を見つけることができたなら、音楽教師にとってこんな幸せなことはありません。

おわり