◎ 2 音の密度
以前、ある大学(音大とも芸大とも申し上げません)の授業で見た驚くべき光景を報告します。
それはオーケストラの授業でした。ある管楽器の学生が教授から酷く絞られています。
彼はある難しく速いパッセージが全然吹けないのです。教授はどんな指導をしているのかとよく見てみると、“どの音も大事や、均等に強く吹け!それができてこそプロじゃ!もっと根性入れて吹かんかーっ!”、と頭から湯気をだして怒鳴っているのです。学生は萎縮して、ますます吹けない。
こんなことって考えられますか?
何故、この学生がいくら頑張っても吹けないのか? 賢明な方ならもうお分かりでしょう。
先にも申し上げたように、音楽にはその部分に適合した音質(音の圧力、又は濃淡)が必要なのです。速いパッセージにゆったりとした時と同じような太い音質で吹けばどうなるのでしょう?
音が溢れ出しパッセージに入りきらないということは子供にでもわかる理屈です。人体なら高血圧症や場合によれば脳梗塞破裂。狭く硬くなった血管に無理矢理血を流すようなもの。針の穴に象を通そうとするのと同じようなものなのですから。
つまり、彼は教えられた通り、強くどの音も均等に吹き過ぎているのです。これではたとえ百年練習したとしても吹けないでしょう。
速いパッセージはできるだけ淡い音で、その部分を速やかに切り抜けなければなりません。これは自然の法則から見ても当然のこと。
大切な音を優先して弾いていくのです。音楽には大切な音、次に大切な音、そうでない音が混然一体となって形作られます(王様だけでは国家が成り立ちません。人間社会と同じですね!)。すべての音は役割を持っているのです。
ですから細い道を通るには優先順があります。最優先されるのは大切な音です。
そのヒエラルキーこそが音楽なのです。
人間の社会と同じように音楽にも平等は存在しません。
太いホースにはそれ相応の量の水を(水が少ないと流れは止まります)、針の穴にはそれに相応しい細い糸が必要なのです。場所と役割をわきまえなければなりません。
嗚呼!可哀相なその学生君はとんでもないバカ教授による無意味な特訓を涙を流しながら来る日も来る日も堪えるのでした。
以上
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