◎ 続き
最近、私の一部の生徒には、ヴァンハルの12の小さな弦楽三重奏曲というのをやってもらってますが、これなど芸術的にも素晴らしく合奏の楽しさ満載です。バイオリンもほぼ第一ポジションだけで弾けますし、音域が狭いのでチェロのトリオとして弾いても十分楽しめますし弦楽アンサンブルやチェロアンサンブルでも楽しめます。
ボヘミアで生まれヴィーンで活躍したヴァンハル、当時はモーツァルトより人気がありモーツァルトよりも沢山の曲を書いたそうですが、どんなレベルの人でも楽しませることができる、ある意味でモーツァルトに並ぶ大天才だったのではないでしょうか。世間ではこんな素晴らしい曲をやらないなんて残念で仕方がありません。
そんな楽譜が玉手箱に見えてきます。
その意味でも、教師は常に、この世にはどんな曲が存在するのかアンテナを張り巡らし、楽譜を漁り回っていなければなりません。
一部の限られた曲に固執していてはなりません。
教える側は、どんな曲を使うにしても、まず生徒の自主性をいかに促すべきかを考えるべきです。とにかくまずは伸び伸びと弾かせなければなりません。それが第一にやるべき事です。
さらに、もし間違っていると思っても、なぜそれが間違いなのか完璧に理論的に説明できなければなりません。どうしても先に進まない場合、そこで初めて軌道修正をすれば良いのです。
間違っても雰囲気で説明などしないように。自分の趣味を押し付けるなど以っての外です。
しかし、教師の趣味を逐一教えてこそ、初めてレッスンとしての意味が成り立つのではないか、と言う意見もあるかと思います。しかし、どのようなレッスンでも趣味の問題で言えば、生徒がよほど馬鹿でないかぎり、ガミガミ言わずとも教師の趣味などちょっとした行動や表情によってでも自然と伝わるものであり、教師の趣味(たとえ悪趣味であったとしても)に染まるものなのです。
それをあえてやってしまうと趣味の押し付け、恥の上塗り、つまり鼻持ちならない悪趣味の強要になってしまうのです。
終わり
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