◎ ベートーベンの作品の楽譜を見たことがある方はお気づきだと思いますが、彼の作品の多くにはメトロノームのテンポ数が書かれています。
残念ながら一般的にはこの数値では速すぎて弾けないと無視されることがほとんどです。またはこの数字は考えなくてもよいというように教えるような、とんでもない風潮すらあります。
ベートーベンは生前、自分の作品が奏者の都合によって勝手なテンポで弾かれることをとても嫌い、主だった作品にはその当時普及されつつあったメトロノームを使い、次々とテンポを書き込んでいったという話は有名です。
しかし、そのような話を知りながらも他人の作品をあたかも自分が作曲したように演奏するという悪しき習慣は、現代においてもベートーベンが生きた時代と全く変わりません。
人が指示したことを無視する権利など、いくら作者が聴いていないとはいえ演奏者にはあるのでしょうか。遺言などは都合よく勝手に解釈するかも知れませんが…。

基本的に作曲家がわざわざ指定したテンポ数は守るべきだと思います。
テンポの数を書くということはそれだけその曲に対する思い入れが強いということですから絶対無視はできません。

ではなぜベートーベンが指示したテンポが速過ぎだと感じるのでしょうか。
それはベートーベンの作品は壮大で重々しくなければならない、という勝手な思い込み、つまり先入観の成せる業。ここでもこの先入観という嫌な言葉が登場します。

確かにベートーベンの作品には重々しく感じるものもありますが(本当は決して重くはないことが多いのですが)、ウィットに富んで、はしゃぎ回るような曲も数多いのです。
特に若い頃の作品などハイドンやモーツァルトのように、いやそれ以上に軽妙洒脱な作品が目立ちます。

それを馬鹿のひとつ覚えのように重々しく弾こうとするものですから、彼の指定したテンポが理解できなくて当然です。そして作品の本質も決して見えてはこない。

考えてみれば、デュナーミクや感情表示などの相対的で微妙な指示に比べて、テンポの数字など直接的でこんなにわかりやすい指示など他にないのではないでしょうか。単なる数字ですから子供にでも理解できるはず。
言わばベートーベン先生の指示を直接彼の肉声で聞いているのと同じことなのです。
この数字があるため、一歩ベートーベンの考えに近寄ることができるのですから、有り難いの一言です。

大切なことは、まずベートーベン=重々しいという先入観を取り払うこと。
確かに、彼の作品は壮大な構築性の元に書かれてはいますが、それと重々しさとは分けて考えるべきだと思います。構築性も重さや軽さとは無関係です。

次に大切なことは、その指定された速さに合った弾き方で弾くということ。単純なことですがこれがなかなか難しいことでもあるのです。
ではなぜ簡単であるべき数字通りに弾くのが難しいのか? まずいちばん問題なのは、自分の弾き方に作品を合わせてしまうことがあげられるでしょう。
自分が作品に歩み寄るべきです。つまりその作品に必要な弾き方で弾く、ということ。
人との付き合いでも、本当に相手を理解しようと思えば相手の立場に立って物事を考えますよね。自己中心的な考え方では、なにも理解できません。あれと同じです。作品が求めるテクニックを自ら見つけること。

◎ 具体的には、オーケストラや室内楽作品を弾く時、速く軽く弾けない最大の原因として、ベターッと均等に油を流したように弾いてしまう、ということがあげられます。そんな弾き方ではテンポも重く遅くなって当然です。大抵は長い音や短い音、スラーのある音も切れた音も音質には大差がない、という場合が多いですね。
まず音形の特徴を理解し区別すること。
例えば、長い音は羊羹のように、端から端まで同じ太さの音で弾いてしまえば、他のパートのイメージを殺してしまうのです。
たまに、音は痩せないで!と言う指揮者や先生を見かけますが、あの神経は理解できませんね。音は痩せるものであり、痩せた音は太るものでもあるのです。均等とは静止つまり“死”と同じことなのです。

弦楽器では基本的には軽いボウイングが求められます。羊羹やういろうのような均等な音では正しいベートーベンの演奏など基本的に不可能なのです。

今、正に発想を切り替える時です。