◎ アンナー ビルスマの名前を知らないチェロ弾きはいないでしょう。古楽界だけでなくクラシック音楽界の大巨匠です。
来年、2月に83歳になるそうですが、原因不明の病気による手足の麻痺により、現在ではもうチェロが弾けなくなってしまったそうです。
私はそれを最近出た彼の本で知り非常なショックを受けました。
氏の演奏を聴けなくなったことは音楽界にとっては大きな打撃です。しかし沢山の録音によってこの先も私たちに素晴らしい影響を与え続けてくれるでしょう。

思い返せば、二十何年か前、大阪いずみホールでバッハ、ベートーベンの作品による二夜連続リサイタルが開催され、そのコンサートを聴き感激した日の記憶が鮮明に蘇ります。あの時聴いておいて本当に良かった!
多分、ひょうきんな性格なのでしょう。その日のコンサートで彼はチェロを抱えて颯爽とではなく、小走りで舞台に登場したのにはびっくりさせられました。
その時、ベートーベンのチェロソナタ第1番作品5-1を演奏したのですが、演奏開始してすぐに首を大きく振り演奏を止め、もう一度初めから弾き直したのです。余程この曲の出だしにはこだわりを持っているのでしょう。
演奏は素晴らしいものでした。
そのコンサートではバッハのガンバソナタも演奏されたのですが、その時が私が5弦のヴィオロンチェロピッコロの音を聴いた最初のコンサートでした。
彼が弾く透明感溢れる音色は強く印象に残っています。

それ以前に聴いた彼のレコードで感激したのといえば何と言っても1979年、セオンレーベルから出たバッハの無伴奏チェロ組曲全曲盤でしょう。
それまではカザルスやフルニエのスラーがモダン風に書き換えられてしまった演奏しか聴いたことが無かったのですが、ビルスマの演奏を聴いて初めてこの曲が本当は舞曲なのだということに気づかされたのです。
そして一人で弾いてるのにもかかわらず、二人かそれ以上の人数で弾いているように聞こえたのです。それまでのカザルスによる大袈裟な演奏を聴いている限りでは、この曲が多声部で書かれている音楽だなどとは全く夢にも思わなかったのです。
あの時の衝撃は今でも忘れられません。
そのレコードに付いているブックレットも素晴らしく、氏の言っていることはまさに眼から鱗。氏の探究心の強さに圧倒され、貪り読んだものです。

ただガット弦で弾いているからというだけではなく普通のチェロの音とは全く異なる氏の音色は私にはいつも衝撃でもありました。
イタリアのバロックソナタの装飾法など、氏のレコードを聴いてよくコピーしたものです。

ビルスマ氏の演奏を聴いて一番影響を受けたというか勉強になったのは、彼のテンポの取り方です。
一言で言えば、ものすごく自由なのです。
一般的によく陥りやすい四角四面でメトロノームのような正確さとは全く異なる時限の演奏であり、リズムが息づいているというか、もっと生命力に溢れているのです。
テンポは伸び縮みするものだとこの時、初めて気がつきました。

気持ちが前向きな所では共演者にはお構いなく大胆に走ります。
しかし走って行き着いた所ではたっぷり時間をかけて歌います。そのテンポアゴーギクというかタイミングの取り方の実に見事なこと!! まさに天才的と言っても良いでしょう。これぞ音楽、と納得するばかりです。

これからもチェロ界だけではなく、音楽界全体に影響を与え続けていただきたいものです。

終わり