DSCN0072再びバーンホーフシュトラーセ

さて私達はバーンホーフシュトラーセを湖に向けて南下します。この通りは高級ブティック、時計店、宝飾店、お菓子店などが軒を並べていますが、見ているだけで目の保養になります。まあ私などの貧乏人には縁が薄い場所とも言えますが。
やがて通りはウラニア通りというとても交通量の多い道と交差します。これを左に行くとリマト川に出ます。ルドルフ・ブルン橋を渡って真っすぐ行くとツューリヒ大学のある丘が目の前に。私達はこの橋の袂から湖に向かって、川沿いの道を歩いてみましょう。
この川沿いの小路はとても静かで雰囲気がありますので、しばらくこの道を歩いてみます。人が一人通れるぐらいの小さな階段を下ると左にはリマト川の水面が目の前です。白鳥や水鳥が遊ぶ姿は、本当にのどかです。
対岸のリマト河岸通りの賑やかさとは対象的にこの辺りはとても静かですね。
そこにベンチがあります。少しだけ休憩しましょうか。

◎ アイネ クライネパウゼ

いつもツューリヒを訪れ、こうやってベンチに腰を掛けて街を見ていると、この街の多様さ、市民としての意識の高さ、芸術文化の高さ、特に音楽の盛んさを感じるのです。この町の人口は大体30万ちょっと。日本でいうとどこの市ぐらいになるでしょうか。とにかくそんなに大きな町ではないでしょう。
そんな大きくはないツューリヒの町にプロのオーケストラが大小合わせて四つ、クンストハウスをはじめとする美術館や博物館が数え切れず、大学が二つ、音楽院もあります。ヨーロッパの他の大都市を見ていると、オーケストラなど元宮廷楽団ということが多いですね。美術館にしても元王様のコレクションや戦利品ということがほとんど。そこには常に巨大権力者の影響が見え隠れします。
しかしスイス、特にツューリヒの場合、それら全て市民の手によって始められたり、集められたりしたものばかりなのです。これは凄いことだと思います。
そしてびっくりするのは市民の環境意識の高さ。環境がしっかり保全されている。また常に静寂さが保たれている。公園都市と言われるだけあって街の緑の多さには感嘆させられます。これらを見ると、同じく私が住む大阪市などは市民の力で栄えてきた町なのですが、環境も文化もまだまだスイスには遠く及ばない、という感じを強くもちます。スイスは日本のように自由に本籍地を変えるということが出来ない、ということもその理由なのかも知れませんが、日本人にもやはりスイス国民のように我が町という意識の高さは必要なのでしょうね。それがスイスという国そのものを守ってきた原動力ともなったのでしょう。
スイス出身のハプスブルク家がオーストリアに行かずスイスに留まっていたら、ツューリヒがヴィーンのような町になっていたでしょう。またヨーロッパの歴史も変わっていたでしょうね。