◎其ノ一
本の話

いつ頃どんな本を自分の小遣いで買ったか、皆さん覚えていらっしゃいますか?
私の場合は月並みですが、漱石の「吾輩は猫である」でした。
駅前にあった小さな書店です。ワクワクしながら文庫本が沢山並んでいる書棚を見上げる。何故か急に賢くなったような気分をしばらく味わい、最終的に選んだのは「猫」。中学一年生の年でした。
急いで家に持ち帰り、むさぼり読んだのをはっきり覚えております。
何故、「猫」なのかと言いますと、その頃、中学の国語担当の先生が、毎回授業の初めに、世界の文学を紹介して下さるのです。毎回本の中から数ページを朗読して頂くのですが、とても読み方がお上手で、その作品にぐいぐい引き込んでいくのです。勿論私語する生徒なんかいません。それで私もすっかり文学の虜になったのです。
その先生は朗読の切り上げ方も絶妙で、続きをどうしても知りたくなるといったタイミングでいつも終わるのです。これも長年の経験で培われた授業のテクニックなのでしょう。授業では海外の作品も紹介してくださいました。例えばカフカの「変身」。この不思議な物語は少年の心には衝撃でした。

先生がいつも言っておられたのは、“こんな面白い本が百何十円で買えるのですよ、皆さん!”で、決して本を読みましょう、ではないのです。
現在文庫本でも百何十円では買えませんが、あれだけの凄い世界をたった千円程度で堪能出来るのですから、本当に安いと思います。これは楽譜にも言えることではないでしょうか。

聞き手をいかに自分のペースに引き込んでいくか。これは経験や才能も必要だとは思いますが、まず大切なのは作品を知って欲しいという熱意。そしてそれが“好きだ”ということです。
先程の国語の先生も無類の本好きだったのでしょう。
私も若い人の心をわしづかみにするようなレッスンをしてみたいと思っております。